画家 岡田謙三の世界 
 Kenzo OKADA
記録  ARCHIVES 資料
 

 新聞切り抜き
明治学院卒業前年に行った『ルノアール展』
日記帳に挿入されていた新聞の切り抜き。

   
川端画学校身分証明書

 
  
身分証明書(裏)

 
   岡田謙三は1921(大正10)年3月に明治学院中等部を卒業、東京美術学校入学を果たせず、川端画学校に通った。そこで島崎藤村の次男・鶏二、島野重人、古山潤らと知り合い、夏には半月ほど大島に取材旅行をしている。島崎は岡田の5歳年下だったが、これを機に終生の交友を重ねる。

 
   
東京美術学校文庫図書閲覧票(表)

 
   
図書閲覧票(裏)
 
   川端画学校で1年学んだ岡田は翌1921年に東京美術学校に入学するが、学科が苦手として2年の半ばで中退。関東大震災のあと、美校の同級生であった高野三三男にパリ留学を誘われる。高野は震災のあと学校再開の目途もないなか、街中でスケッチをしていた折りに「絵など描いている場合か」などと声をかけられたのを機に渡仏を思い立ったのだった。

 
 
サロン・ドートンヌ入選票(表)

 
 
   入選票(裏)

 
 
               パリ留学中のアドレス帳
 
     
  アドレス帳内ページ。キスリングの自筆と思われるサインがある

岡田謙三は1924(大正13)年1月3日に横浜から箱根丸で渡仏の途についた。27年9月までパリに滞在。その間に様々な美術家と交友を重ねた。このアドレス帳にはキスリング゙のほか数十の外国人名がある。むしろ日本人名が少なく、藤田嗣治や鈴木龍一、小柳正、高木りう、彫刻家・清水多嘉示といった名がある。
                                             
 


  
藤田嗣治は1936(昭和11)年に堀内君代と結婚。四谷左門町の借家で新生活をはじめたがほどなく麹町区下6番町13番地にの新居に移った。およそ半年後の翌37年1月には隣接する同17番地に島崎藤村が自邸を新築している。
上の写真は岡田謙三が四谷左門町の家に藤田を訪ねたときのものである。下は写真裏で、筆跡はきみ夫人。写真の実寸は24ミリ×34ミリと小さなものでフィルム・サイズの紙焼きと思われる。 
 
 このページの上へ 
 
 
TOP   PROFILE    GALLERY    Photo ・GALLERY   ARCHIVES   MAIL   LINKS 
     記録 ARCHIVES  資料